エリザベス1世 在位1558-1603)ナショナル・ポートレートギャラリー London |
ヘンリー8世と並んでチューダー朝といえば思い出されるのはエリザベス1世である。ヘンリー8世の時代も含めて16世紀の時代の覇権国はハプスブルグ家の支配するスペインである。そのスペインの無敵艦隊をアルマダの海戦で打ち破り、ヨーロッパの二流国であったイングランドを繁栄に導いた名君として知られている。 エリザベス1世の時代の家具も当時のオリジナル品はあまり残っていないので現物を見ることができるところは限られている。ヨーロッパでは家具や美術品の時代を区分する際に君主の名お使うが、エリザベシアンという表現は良く使うものの、その前のメアリーズや、ヘンリーズということはなく、何故かTUDORS(チューダーズ)で片付けてしまう。チューダーの家具は、実際にこの頃フランドルの職人たちによってルネサンス的要素が持ち込まれたとはいってもフランスやイタリアに比べると、少々野暮ったく、そこがまたイギリス的でもあり親しみやすい。 |
グレート・ベッド・オブ・ウェアーズ
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チューダー様式を代表する家具のひとつに天蓋つきのベッドがあるが、
中でもこのベッドはV&Aを代表する展示品のひとつで、数人がゆったりと休息できるほど巨大なものである。ロンドン近郊のウェアという町の旅館の特別室用に製作されたもので、このような大型のベッドは、16世紀には宣伝もかねて旅館に置かれ、身分の高い人用に使用されたようだ。寝具類も忠実に再現され実際に手で触れることのできる構造サンプルも展示されており大変興味深い。 |
ドロ-テーブル 1600年頃 V&A Museum London |
チューダーやジャコビアンといえばブルボーズと呼ばれる球根をかたどった太い足が特徴的だ。またドローリーフという予備の天板を引き出してテーブルを大きくする方式もこの頃から使われだした。またこのテーブルには象嵌装飾も見られる。これらの技術はフランドルの職人によってブリテン島にもたらされた。 |
チューダー朝の家具③ エリザベス1世
チューダー朝の家具② ヒーバー城(Hever Castle)
Hever Castle(ヒーバー城)は、ロンドンの南西50キロほどのところにあり、城の内装やガーデン、ショップやレストランなども充実しており、ロンドン観光のついでにちょっと足を伸ばせば行けるお勧めのスポット。城そのものの内装や家具はもちろん、ショップに併設されたミニチュアモデルハウスで英国の各時代の貴族の生活やインテリアの勉強には大変参考になる場所である。
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ヒーバー城(Hever Castle) アン・ブーリン(1507-1536) 20世紀初頭に復刻されたチューダー時代のインテリア |
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しかしこの城で最も有名なのは16世紀初頭にヘンリー8世の2番目の王妃アン・ブーリンの実家であったことだろう。また4番目の王妃アン・オブ・クレーブスも暮らしていたそうで、チューダー時代の城のインテリアを体験できる貴重な場所である。 現在見ることの出来る内装は1903年に初代アスター子爵であるアメリカ人William Waldorf Astorによって購入されたあと復元されたものである。 |
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見方を変えれば現在われわれがメインに取り扱っている1900年頃の英国にはこれだけの仕事をする職人がまだまだたくさん居たということが良くわかる。またこの内装の材料はオークではなくイタリア産のウォールナットだそうでいつの時代もハイエンドのインテリアにはイタリアの職人がかかわっていたことも改めて実感させられる。 | |
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モーニングルームには当時の椅子が多数展示されている 最後の部屋には15世紀のオリジナルの椅子が手を加えずにそのままの状態で展示されている。 これくらい古い時代のものだとアンティークオークション市場ではこういう状態のものの方がレスとあされたものよりも高額な価格で落札されることが多い。 |
アン・ブーリンが幼少時に暮らしていたと言われている部屋。当時のベッドのヘッドボードが展示されている ヘンリー8世のベッドルーム 国王が実際に宿泊部屋はわかっていないが、アスター子爵はこの城の一番大きな部屋にベッドルームを復元した。ベッドは1540年頃のもので国王と王妃の肖像が彫刻されている。 |
チューダー朝の家具① ヘンリー8世
ヘンリー8世(在位1509-1547) |
チューダー朝の時代は16世紀、フランスでは世紀の半ば頃にはルネサンス様式の家具が主流となっていたが、英国ではルネサンスの影響はほとんどなく、中世のゴシック様式の面影を多く残しており、この傾向は17世紀まで続いた。 椅子の構造は、板を組み合わせたパネルバックチェアが主体であり身分の高い者でもセトルと言う箱のような形のベンチを一人用にしたようなデザインのものであった。 この時代は国王は、戦争だけでなく領地の各地を旅してまわる必要もあったため宮廷もそれに伴い移動するため家具も持ち運びのできる構造になっていた。 |
チューダー時代のアームチェア 1540年頃 イングランド V&A Museum London |
実際にチューダー朝の時代に製作されたと明記されている家具は博物館でも意外と少なく、 デザイン的にチューダー朝と思われる品でも17世紀のものが多い。
そんな中でも16世紀と明記してあった写真をいくつか紹介する。 左の椅子はロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館のもの。背板の上部の彫刻にルネサンスの影響が見られるが、基本的にはゴシックの家具という感じだ。 |
同時代のスコットランドのアームチェア 1540年頃 V&A Museum London |
こちらはスコットランドのもの。現在はUKという同じ国家と言うことになっているが、この時代、スコットランドは独立した国で、フランスとの関係が強かった。彫刻もフランスのルネサンスの影響を強く受けている。 |
ハンプトンコート宮殿 ヘンリー8世のキッチン |
ヘンリー8世のハンプトンコート宮殿はゴシックとルネサンスの混合様式で当時のインテリアを垣間見ることができるが、家具はほとんど失われてしまって残っていない。 |
ウェスト・ブレットン卿 |
上記のV&Aのチェアはチューダー様式と知られているものよりもゴシックに近い感じであるがこのベッドは私がヨーロッパで実際に見にした家具の中で唯一、明記された年代がヘンリー8世の時代で、デザインも一般的にイメージされるチューダースタイルの家具である。 ベッドだけでなく壁面パネルも含めて1535年頃に製作されたもので、おそらくヘンリー8世の訪問に際して作られたものだそうである。 このようなベッドはこの時代の歴史ドラマには必ず登場するアイテムで、また正にイングランド的な家具ということでハリーポッターなどにも使用されていた。 最近では英米でヒットした歴史ドラマ『The Tudors』(邦題 ザ・チューダーズ~背徳の王冠)では、チューダー様式の豪華な内装が再現されている。リンクはこちら |
アン・オブ・クレーブス・ハウス Anne of Cleves House
アン・オブ・クレーヴス・ハウス Anne of Cleves House は、サセックス州の田舎町Lewesにある中世のWealden hall houseで、ヘンリー8世の4番目の王妃、アン・オグ・クレーヴスに領地として与えられたためこう呼ばれているが王妃が実際に訪れたことは一度もない。15世紀のヨーマン(独立自衛農民)と言われる裕福な農民の生活が良くわかる貴重な場所である。家具やインテリアは16~17世紀のオークの時代の家具で統一されており、この時代のアンティークでもここにある家具は、美術館にあるような王侯貴族ののものに比べれば本物を手に入れることは可能なため、興味のある人は現物を確認して、19世紀ものやリプロと本物の違いを知るためにも必見の場所である。 | |
テスターベッド |
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通常、当時のベッドはシンプルな箱に藁を敷き詰めたものであったが、上の写真ようなベッドは非常に高価で家具の中でも一番のステイタスシンボルであった。フレームにロープを張ってマットレスを敷き麻のシーツと毛布を供えた快適なものでカーテンによって保温とともにプライバシーも保たれた。 |
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チェスト(16世紀) ドロワーチェスト(17世紀) バイブルボックス コート・カップボード(1600年頃) |
左上の写真のようなチェストは15~16世紀までは収納家具の主流で様々な家財道具入れとして使用された。またこれらは必要なときには動かしてテーブルとしても使われる万能家具であった。日本で一般的に言われる引き出しのあるチェスト、Chest of Drawersの登場は17世紀まで待たねばならない。
当時はダイニングテーブルも通常は移動式で、食事のときに箱のような台の上に板をおくだけの簡単なものが主流で、ダイニングテーブルとして専用のテーブルが使われるようになるのはもっと後のことである。これは王侯貴族でも同じでこれは宮廷が常に国内各地を移動するためにも都合が良かった。 |
このテーブルは16世紀半ばのもので、もともとはStar Innという旅館(現在はLewesのタウンホール)に置かれていた。オークのアンティーク家具でおなじみの深い茶色も製作された当時は白木に近いもので数百年にわたる年月を経て時刻み込まれた時代がこの色を醸し出しており現代家具のように塗装によって色をつけているわけではない。また、背のついた椅子は社会的地位の高い者や賓客、主人などのために用意されたものであり庶民が座れるものではなかった。左下の写真のようなコートカップボードは大陸では見られないグレートブリテン独特の家具で富の象徴として16~17世紀に流行した。 ドアパネルには象嵌細工が施してあり17世紀初頭のジャコビアンの時代の典型的なデザインである。 |
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キッチン
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キッチンは地下にあり、大きな暖炉で煮たり焼いたりローストしたりとすべての炊事をこなした。キッチンの様子は19世紀までほぼ変わらなく続き、使用人はここで食事をとった。 |
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Goggin Baby Walker
これは歩行器とでも訳したらよいのか? 回転する柱から突き出した輪の部分に子供を入れて使うもの。子供の行動範囲は限られており英国でも珍しいものとのこと この時代の素材によって染められた糸 |
大きなキッチンテーブルは食事用というよりも作業台として使われることが多かった。後の時代になってこれらの使い古しがアンティーク市場に出て、ダイニングテーブルとして現代の生活にも再利用されるようになるとともにひとつのスタイルとして定着し現代ではダイニングテーブルとして多くのりプロダクションが製作されている パーラー 当時は働く場と住む家は同じであり、家長を頂点として同居する者達すべてが家族として認識され、現代的な血縁関係をもとにした家族という概念はまだなかった。、女性や子供たちが仕事などをしながら滞在する部屋をパーラーと呼び、これはフランス語の話すという単語が語源になっている。
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Stickleyのアンティーク
クリニアンクールの中でも最も高級な品揃えのマルシェ・ビロンを歩いているとVバックアームチェアが目に入ってきた。まさかこんなところでStickleyのアンティークに出くわすとは・・・・・博物館以外のところでアンティークのスティックリーを見るのははじめてである。アメリカのオークションでは数千ドルはする品である。もしかしたらフランスなので低い評価になり相場よりも安かったりしないだろうかと期待が頭をよぎる。しかし、店主は何処かへ行ってしまっていない。鍵もかかっている。それでも気になるのでひとまわりした後、戻って聞いてみた。価格は5000ユーロ。店でWarren Hile Studioの復刻品を扱っているだけにひとつくらい本物がほしいところだが、ちょっと手が出ない。 |
後ろの笠木の部分に初期のスティックリー製品のトレードマークが記されている。文献では何度も目にしたが実物は初めて見た。赤だったんだ・・・・そしてシートの裏にはラベルも残っている。これは上質のコレクターズピースだ。5000ユーロでも安いかもしれない。 こちらがスティックリーだとわかったので店主も興味を持って色々と話してくれた。ミュンヘンの家から出たらしい。フランスではまず聞かないような上手な英語だ。ドイツなまりもないみたいである。価値のわかる人に持ってもらいたいとのことでいくらなら買うかとしきりに交渉を迫るが、こちらもコレクターではなく売らなければならないので、いくらユーロが安くなったとはいえこれは中々売れないだろうと思いあきらめた。 |